大判例

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東京地方裁判所 昭和44年(刑わ)323号 判決

被告人 風間敏男

大一五・三・二八生 歯科医師

主文

被告人を禁錮四月に処する。

ただしこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は、第五回公判に出頭した証人安藤一男に支給した分を除き、全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、東京都目黒区祐天寺二丁目七番二四号において風間歯科医院を開設する歯科医師であるが、昭和四一年二月五日午後二時四〇分ころ、同歯科医院診療室において、安藤真弓(当五年)の下顎右第二乳臼歯一本の抜歯及び同歯下の腐骨摘出手術をするため、同女の左腕に全身麻酔剤ラボナールA(アトムリン含有のチオペンタールナトリウム)約〇・一グラム(二・五パーセント溶解液四cc)を静脈注射した。

このような場合歯科医師としては、右チオペンタールナトリウム麻酔剤の施用に伴う急速な血圧降下・体温低下・心停止・呼吸停止等のシヨツクないし呼吸中枢の抑制・舌根沈下や喉頭痙攣による気道閉塞等の副作用の発現を予想し、これにそなえて、同女が麻酔から完全に覚醒するまで、自己の管理下において細心の観察を続け、異常を認めたときは、ただちに所要の救急措置(人工呼吸、心臓マツサージ、酸素吸入器による吸入、下顎の前方持上げ、人工気道の挿入等)をとるべく、万一、覚醒を確認せず、もしくは覚醒したものと誤信して監視をやめ、帰宅させた後、異状を訴えられたときには、同女の容態を十分確かめた上、要請の有無にかかわらず、すみやかに自ら往診しまたは来診させて前記応急措置を講じ、もつて、麻酔剤施用に伴う危険事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意業務がある。しかるに、被告人はこれを怠り、右抜歯等の手術終了後約一〇分位してから、なお、昏睡状態にあつた同女が、治療台にかけたままかすかに両手を何か探すように前後に動かしたり、片手で腹部の着衣を引つぱるような動作をし、両足をゆつくり前後左右に動かす等のわずかな体動を示したこと、その前後口中に化膿止めとして入れてあつたペニシリンコーンを舌で外に押出したこと、瞳孔反射・脈膊・呼吸に別段の異常がなかつたこと、これらの事実のみをもつて、同女が一旦覚醒し、引継き生理上の自然睡眠に入つたものと速断し、若干の経過を診て同日午後三時三〇分ころ、いまだ麻酔から覚醒していない同女に対する監視を解き、これを母親安藤芳枝の手にゆだねて帰宅させた過失、及び帰宅した右芳枝から、同日午後四時三〇分ころと午後五時三〇分ころの二回に旦り、電話で「まだねむつているが大丈夫か」「まださめない。顔色が悪く手足がつめたいが、麻酔からさめないのではないか」等と真弓の異状を訴えられながら、ただ「時間がくればさめるから心配はない。生理的なねむりに入つているからしばらく様子をみてくれ」とか「体温を計り、湯タンポを入れてあたためるように」と説明・指示したのみで、同日午後七時ごろまでの間なんら前記往診、救急等の措置をとることなく漫然とそのまま放置した過失により、そのころ迎えにきた家族の車で、同都同区中目黒二丁目四七五番地(住居表示変更により現在同区中目黒三丁目一二番一九号)の同女方に赴き、急拠、真弓に人工呼吸、強心剤ビタカンフアー注射、心臓マツサージを施したが時すでにおそく、その間同女に前記麻酔剤施用の副作用である呼吸中枢の抑制気道閉塞等による酸素欠乏をきたさせ、遂に麻酔による意識の回復をみないまま、同日午後八時二〇分ころ、同所で、同女を酸素欠乏に基づく窒息のため、死亡するに致らせたものである。

(証拠の標目)(略)

(争点に対する判断)

一、全身麻酔法を避け局所麻酔法によるべきか。

検察官は公訴事実で、被告人には真弓がわずか五歳の小児であること、全身麻酔法をとるには専門の知識経験を要することなどを考慮して、できるかぎり危険の多い全身麻酔法をとることを避け、局所麻酔法によるべき注意義務があるのにこれを怠りラボナールAの全身麻酔をとつた過失があつたと主張する。この主張には全麻法を避けなければならない根拠として「真弓がわずか五歳の幼児であつた」ことと「全麻法には専門的知識経験が必要であるのに被告人にはこれが乏しかつた」という二個の主張が含まれているので、これを分けて説明する。

(1)  五歳の幼児に対する全麻法の適否

一般に、小児に対する全麻法の危険度は成人の場合と同等であり、静脈が細いので、やや難しいが決して不可能ではない。酸素吸入器などの蘇生器が常備され、全麻法に熟達していればその実施に問題はない(山下・久保田鑑定)とか、ガス麻酔や筋注等局所麻酔と併用することが多いが、五歳の小児でも全麻をすることはあり、差支えはない(斉藤鑑定②)との見解が強く、殊に「近年小児の抜歯の際、局所麻酔が不可能でなくても、精神的愛護と治療効果の面から、全麻を実施する傾向があり、本件では抜歯のみならず、腐骨摘出手術を併せ行つているのであるから、全麻法の適応症ともいえる」(久保田鑑定)とも断ぜられている。尤も、小児は呼吸中枢が容易に抑制され易く、気道が小さいので、すぐ酸素欠乏を来し喉頭痙攣も起し易い。また抜歯の際口腔内に出血を伴い、喉頭に異物として刺激し、喉頭痙攣を惹起する。従つて絶対の禁忌ではないが、設備の不完全な一般歯科医院での全麻は適当ではなく、危険性の低い他の方法によるのが望ましいというやや否定的な意見(内藤鑑定①②)もあるが、内藤鑑定人も他方では、全麻の条件として局麻では不可能な場合にのみ限定すべきものとはいえない。治療医が患者の症状、処置法等を綜合して判断すべきものであるから、単純に全麻の可否を論ずることはできない(内藤鑑定②)と述べ、一般的には望ましくないが、具体的な場合は治療医の判断を尊重すべきものとしていることから考え、必ずしも本件被告人の処置を否定したものとは解されない。そして本件は単に抜歯だけではなく腐骨の摘出もなされたことは判示のとおりであり、被告人に麻酔に対する知識経験が欠けていたものでないことは後述のとおりであるから、被告人が五歳の真弓に対し、全麻法をとつたこと自体何等非難されるべきでなかつたと認められる。

(2)  全麻法をとるには専門的知識経験が必要か。

ここにいう、全麻法についての専門的知識経験とは何をさすのか、必ずしも明白ではないが、もし、検察官が釈明した「通常麻酔の指導者のもとで、又は歯科医師としての教育過程で専門家から指導を受け、症例の経験を積み、基礎的知識と技術を習得した」ことを言うものとすれば、被告人は一件記録(司法警察員に対する昭和四一年五月一五日付供述調書、当公判廷における供述)によつて認められる、昭和二七年三月日本歯科大学専門部を卒業して歯科医師国家試験に合格し、翌二八年六月から歯科医院を開業するかたわら、同大学衛生学教室に入り、昭和三六年三月まで小児歯科の研究を続け、その間同三五年二月には京都大学医学部口腔外科教室から博士号を授与され、同年三月から翌三六年三月まで、母校の講師を勤め、その教育・研究過程で麻酔学に関する一般的な知識と技術を習得したこと、本件当時ラボナールAに関する薬理的知識は、製薬会社のパンフレツト・学術書等を通じて承知し、かつ、昭和四〇年一〇月ころ自己の患者数名に対し、ラボナールAの全麻注射をした経験があつたこと等の諸事実によつて、被告人はその知識経験を一応保有していたということができ、仮に、より高度の麻酔学的専門知識経験を指すべきものとすれば、全麻酔法の施術者には「使用薬剤の薬理学的知識ならびに副作用、あるいは特異体質によるシヨツクに対応できる蘇生法の知識と技術を習得した上なされるべきであり」(久保田鑑定)、「麻酔学の講座が設置される前の歯科系大学でも、口腔外科学の領域で静脈麻酔を含めて麻酔学は講ぜられており、この教育機関を卒業し、国家試験に合格して免許を取得した者は、医師・歯科医師を問わず、静脈麻酔に関して一応の知識を有する者とみなされる。」(内藤鑑定②)として特別高度の専門知識経験は必要視されていないのである。従がつて、被告人は、検察官が釈明した程度の専門的知識経験は有しており、さらにより高度なそれは、必要視されていないので、この点についても被告人を非難する余地はなかつたというべきである。

よつて、被告人に全麻法を避け、局所麻酔法をとるべき注意義務があるのに、これを怠つた過失があるとする、検察官の主張は採用できない。

二、真弓は覚醒したか。覚醒判断の適否

本件における最大の争点は、いうまでもなく、検察官がいうように、真弓は麻酔後一度も覚醒しないまま帰宅させられたのか、或いは、被告人の主張するように、一旦は覚醒したがそのあと生理的睡眠に入つてから帰宅させられたのかである。以下において、この点を検討する。

覚醒とは、普通、目をさます、迷いからさめるとか、人の注意を喚起することといわれ、前者の意味では、たとえば、睡眠から目ざめる、睡気・ぼんやり・気分の不快をとつてすつきりする、意識不明・朦朧状態から回復する等のときに使われているように、人間の意識状態や感覚の存在程度を確認する一種の抽象概念であるため、その意味内容と程度は必ずしも一様ではなく、その使用される場合に応じ、合目的に解釈する外はない。このような見地からして、全身麻酔から覚醒したとするには、麻酔による危険性がなくなつたかどうかに重点をおき、患者の安全性を基準として「麻酔によつて意識を失つた者が、麻酔から完全に回復して、もとの正常な意識に戻り、麻酔前に有した危険に対する各種の防禦反応が可能となつたこと」(内藤鑑定②参照)と解するのが相当であり、具体的には、患者が目をあけたとか、動いたというだけでは不充分であり、問に対しふさわしい返答ができる程度(内藤証言)とか、目を確実にさまし、会話ができる、水がのめる、立つて歩ける程度(久保田証言)になつたことを必要とするというべきである。

それでは、被害者真弓に帰宅前、覚醒と認められるような事実があつたといえるだろうか。

まず、本件麻酔及び手術の補助をした歯科衛生士石山恵子の証言によれば、真弓は術後一度も目をさまさず体も動かさず、だらんとして寝たままであつて、同証人と真弓の母親芳枝が、互に名前を呼んでも全く反応がなかつた。被告人は、麻酔注射をしながら脈膊と瞳孔を検査し、帰宅直前にもそれをしたというのであり、母親芳枝の証言によれば、術後間もなく、真弓はがくつと動かなくなり、顔面蒼白、しばらくして息を続けて吸い込むような、泣きじやくるような様子があり、目は二分あきのまま、全く動かずにいた。名前を呼んだことはないし、被告人が脈をみたり、瞳孔の検査をしたことはないというのである。

一方被告人の供述するところによると

司法警察員に対する昭和四一年五月一五日付供述調書(二一丁分)では

午後三時一〇分ころ麻酔をして、手術に移つた。四・五分おきに脈膊、呼吸の検査をしたが異常はなく、約二〇分して午後三時三〇分ころ、真弓は手を三、四回横に動かし、椅子に座つたまま足を前後にゆつくり動かしたので、覚醒の兆候があつたと考え、その後三〇分位そのまま休息させて帰宅させた。

検察官に対する昭和四二年四月五日付供述調書では

午後二時三〇分ころ麻酔をかけ、腐骨摘出を含めて手術は約一五分で終了した。終了後五分位して真弓は口中に入れてあつたガーゼとペニシリンコーンを舌で押出したので、これを取除き、新しいガーゼを入れた。その時同女が腕を縮めたり、足を伸ばしたりしたので、覚醒期がきたと考え、瞳孔反射、脈膊、呼吸を検査したところ、いづれも正常なので覚醒したと判断したが、そのまま軽眠状態に入つたため、午後三時三〇分ころまで休ませて帰宅させた。

検察官に対する昭和四四年一月八日付供述調書では

手術終了後五分位して、瞳孔反射、脈膊、呼吸を検査したところ正常であつた。しばらくして真弓は両手を前後に動かして何か探すような動作をしたり、片手で腹のあたりの衣服を引つぱる恰好をし、両足をゆつくり前後左右に動かしたので、覚醒したものと考えた。この直後ペニシリンコーンを口中から舌で押出した。そのまま二、三〇分休ませて午後三時三〇分ころ帰宅させた。

公判廷での供述では

午後二時三〇分ころ麻酔注射し、約二〇分間で手術は終了した。それから瞳孔反射、脈膊検査をしたが、異常はなかつた。少しして、真弓は、止血ガーゼとペニシリンコーンを口中から舌で押出したので、患部にオキシフルで消毒しマーキロをつけたところ、若干口をゆがめるように痛いという反応があつた。間もなくして、同女は片手で自分の腹部をさぐる恰好で自分の上着をひつぱり、足をぶらぶら前後左右にふり、椅子に両手をかけてささえ、座りなおす動作をし、自分の足下をみるような形で一寸目をあけ、被告人の顔をみた。そして、そのまま目を閉じ、睡眠状態に入つたので、このとき同女が覚醒したものと考えた。

というのである。

覚醒に関する直接証拠は以上で尽る。しかし右三名の供述は全く一致するところがなく、いずれが真実であるかは、供述者が目撃当時おかれた状況や位置・関心度さらには供述当時の心理状態・立場・記憶力などを考慮し慎重に決めなければならないところ、石山恵子は、同医院の衛生士であり、真弓の術後それに使つた器具類の整理、他の患者に対する治療の準備・補助をしていたので、術後の真弓にかかりつきりで看護観察し得る状況にはいなかつた者であること、母親芳枝は、手術終了までの間、治療台の背後で真弓が動かないようおさえていて同女を見るには不十分な場所におり、かつ、術後も、終始つき添つていたのではなく、途中被告人に命ぜられ、診療室から一旦出て待合室で過し、その間約一〇分は、真弓を全く観察できない状態にあつたこと(この事実は一件記録上認められる)等を考慮すると、両証人の供述は、目撃した限度では虚偽ではなかつたとしても、それが真弓の状況を示す全てであり、これのみをもつて同女に体動の事実がなかつたと断定するのは、いささか早計といわなければならない。

しからば、反対に、被告人の供述はそのまま信用できるのかといえば、必ずしもそうとはいえないのである。すなわち、煩をいとわず列記した前記被告人の供述は、一見して明白なように、その都度内容が変遷し、殊に後になる程、覚醒の裏づけとなる事実の供述が、具体的で豊富になつている(例えば、オキシフルやマーキロを患部につけたら、少し口をゆがめて痛いという反応を示したとか、椅子に座りなおそうとしたとか、目をあけて被告人の顔をみたとの事実は公判廷で初めて述べられたことで、捜査官に対しては全く供述していない)ことは、どう説明したらよいのか。被告人がみた、覚醒の根拠となる具体的事実が、自己の刑事責任を問われる上で極めて重要な意味をもつことは、取調べの状況に照らし、かつまた歯科医師の立場上当然知悉していたはずであり、一般に、人間の記憶は、時間の経過により、次第に喪失したり、不鮮明となるのが自然であつて、逆に、記憶が鮮明化したり、豊富になつてくるなどということは、特段の事情がない以上まずあり得ないのが経験則であることを考え併せると、覚醒に関する被告人の公判廷での供述は、何等かの作為的な意図のもとになされたものではないとの疑を否定することができないのである。結局のところ、被告人が当初から、ほぼ一貫して主張してきた供述、前記石山証人が目撃した事実等を併せ考え、被告人が真弓に覚醒ありと判断した具体的根拠は、判示のように、おおよそ、「手術終了後五分位して瞳孔反射、脈膊、呼吸等の検査をしたところ正常であり少しして、真弓はわずかに両手を前後に動かして何か探すような動作をし、片手で腹のあたりの衣服をひつぱるようなしぐさをし、両足をゆつくり前後左右に動かした。その直後口中に入れておいた化膿止めペニシリンコーンを舌で押出した」事実をもつて、すべてであつたと認定するのが最も妥当である。被告人が、右認定の事実だけをもつて、麻酔からの覚醒ありと判断した理由は、推測するに、おそらく、ラボナールAが注射後二〇分前後しか効力が持続しない超短時間麻酔で、しかもラボナールに比べ呼吸抑制作用が少ないといつたラボナールAの安全性に関する薬効を、やや過信し、かつ麻酔後四・五〇分位経過しても、真弓には麻酔による明確なシヨツクないし副作用とみられる外形的現象が発現しなかつたことなどを考慮したためかも知れないが、このような事実程度をもつて、麻酔からの覚醒ありとすることは到底許さるべきでないことは、覚醒の基準について、先に述べたところに徴し、当然といわなければならない。(天野鑑定中には、真弓が覚醒したといえるとの部分があるが、当裁判所が信用しないとした事実を前提としている点で採用できない。)

以上要するに、被告人には、真弓が麻酔から覚醒したかどうかを確認せず、もしくは覚醒したものと誤認し、その結果、覚醒するまで歯科医師の監視下において、異状の発見がおくれないよう観察し、異状に対処できる準備る具えるべきであるのにこれを怠つた過失があることは明白である。

三、真弓を帰宅させた後異常を訴えられた際の措置の適否

(証拠略)により、被告人が真弓を帰宅させた後母親芳枝から異状を訴えられたときの状況をみると、被告人は同日午後四時三〇分ころ芳枝から電話で、「まだねむつているが大丈夫だろうか」と問われ、「時間がくればさめるから心配はない。生理的なねむりに入つているから、そのままねかせて、しばらく様子をみてくれ」と答え、それから約一時間した同日午後五時三〇分ころ、再度同女から電話で「まだねむつている。顔色が悪く、手足も冷めたいが、麻酔からまださめていないのではないか」と訴えられ、これに対し「冷めたいというなら熱を計つてみてくれ。風邪を引くといけないので湯タンポを入れて下さい」と指示した。同日午後七時近く、安藤夫婦が車をもつて迎えに来たので、これに同乗して安藤方に赴き、急拠強心剤を注射した上、人工呼吸・心臓マツサージ等を施し続け、その間家族の者から要請された救急車等の手配をしないまま、同日午後八時過ころ、急をききかけつけた友人の松見医師によつて、すでに、真弓の容態は、重態状態を超え、手おくれであることが確認されたこと、おおよそ以上の経過であつたことが認められ、これに対する被告人の公判廷における供述は、その限度で信用しない。

そこで、右に認定した事実をもつて、異常を訴えられた歯科医師の措置として適当なりやを考察するに、麻酔からいまだ覚醒しない患者を、帰宅させた施術者たる歯科医師としては、麻酔施用に伴うシヨツクないし副作用の発現にそなえ、帰宅後もなお患者に対する経過観察をなすべきであり、(斉藤鑑定②)患者の異状を訴えられたときは、その症状を積極的にききただし、症状により、ただちに往診し、または来診させた上、気道の確立、酸素の吸入等適切な応急処置を講ずべく、なお自己の手に負えないときは設備の完備した病院に移して救命に努力すべき義務があり、そうすれば死を免れ得た可能性が大であつた(久保田鑑定と久保田証言、内藤鑑定①②)のに、これらの配慮を全く怠り、(家族から体温の測定結果について連絡がなかつたとか、往診の依頼がなかつたということがこの義務を免れさせるものでないことは、けだし当然である)、生理的睡眠だから心配ないとか、体温の測定と湯タンポの挿入を指示しただけで、帰宅後往診まで約三時間三〇分の長時間にわたり、漫然とそのまま放置したことは、担当歯科医師として著しい救護義務違背があつたというほかはないのである。お被告人は応診の際、注射器は持参したのに強心剤の注射液をおき忘れたり、酸素吸入器を携行しなかつたこと、応診後、母芳枝から救急車を要請されながら手配しなかつたことなど、応診時以後の措置にも一応問題とする点がなくはないが、これらはすべて訴因上過失として構成されていない事実であるから、特にここでふれることはしない。

四、死亡原因についての疑問

当裁判所は、真弓の死亡原因は、斉藤鑑定①と内藤鑑定②その他を綜合し、判示のように、チオペンタールナトリウム麻酔の副作用である呼吸中枢の抑制・気道閉塞(舌根沈下・喉頭痙攣)によつて惹起された酸素欠乏に基づく窒息死である(麻酔施用に伴うシヨツク死という点も指摘されているが、一件記録を検討しても、その蓋然性はないか、あつても極めて小さい)と考えるものであるが、弁護人は(1)帰宅後真弓が寝ていたときの姿勢と体温計の測り方に問題があること、(2)頚動脈洞の作用が抑制されたこと、(3)特異体質による不可抗力であることの三点をあげ、前記結論に疑問を投じているので、その有無について考察する。

(1)  寝ていた姿勢と体温計の測り方に問題があるか。

弁護人の主張する骨子は、真弓が帰宅後寝ていた姿勢は、顎を首にうめるような形、すなわち体温計を「ノド」にはさんで計り得る程度に顎を引いて寝ていた形跡があり、また体温計を「ノド」の部分にはさんで測つたことにより、該部分を圧迫したことが考えられ、このような場合、麻酔の深さ如何によつては、また麻酔からさめた後の自然睡眠でも、喉頭部の圧迫により、呼吸障害を起して窒息することがあるというのであり、その論拠として安藤芳枝証言と天野鑑定を援用する。しかし、右安藤芳枝の証言(第二〇回公判)によると、帰宅後の真弓は、いつもの子供用の低い枕をし、上向きにして普通の状態で寝ていて、顎を特に引くような形で寝ていたことはない。体温計は芳枝が手で持つたまま「ノド」の所にあてて測つたが、息ができないような測り方はしていないし、その際真弓を動かしたようなことはなかつた事実が認められるので、真弓が寝ていたときの姿勢や、体温計の測り方に呼吸障害を起すような疑いを入れる余地はなかつたというべきである。

(2)  頚動脈洞の作用が抑制されたか。

弁護人の主張は、要するに、「真弓には、乳臼歯にカリエスがあるだけではなく、下顎に化膿性炎症(被告人が摘出した腐骨及びその周辺の炎症を指すものと解される)が及んでいたと思われ、下顎の炎症に際しては、頚動脈洞の作用が抑制されることがあり、ラボナールAで呼吸中枢を犯し、酸素欠乏が起つても、反射的に呼吸させる作用が起らず、呼吸停止をきたすことがある」旨の内藤鑑定②と「首を手でしめ、頚動脈洞あたりを圧迫したり刺激すると、反射的に心臓がとまることがある」との内藤証言を根拠に、真弓には下顎の炎症があり、かつ帰宅後、顎を首にうめるように引いて寝ていたため、同女も頚動脈洞の作用が抑制されて死亡したのではないかと推論するのである。しかしながら、そもそも内藤鑑定②が頚動脈洞についてふれている理由は、同鑑定人が小児に対するラボナールA麻酔を施用するには、小児は呼吸中枢が抑制され易く、気道が小さいためすぐ酸素欠乏を起すので特別の注意が必要であつて、できるだけ、その使用を避け、他の麻酔法をとる方がよいことの説明としてであり、その趣旨とするところは、人体は酸素が欠乏すると、反射的に呼吸が起きるような仕組になつているが、頚動脈洞の作用が抑制されると、その反射がうまくできなくなる。ラボナールAで呼吸中枢を犯し、酸素欠乏が起つても、頚動脈洞の作用が抑制されると、反射的に呼吸作用が起きなくなり、呼吸停止をきたすことがある。要するにラボナールAにより呼吸中枢を犯し、酸素欠乏をきたしたとき始めて頚動脈洞の作用抑制が問題として起つてくるということに尽ることは、同鑑定と内藤証言を対比してみれば明瞭である。従つて、かりに真弓が下顎に化膿性炎症をもつていたとしても、そもそも、被告人において、同女に呼吸中枢を犯したり、酸素の欠乏をきたさないよう、予め十全の処置を講じてさえいれば、頚動脈洞の作用抑制の点は、はじめから問題とならないはずであり、また、真弓が顎を首にうめるように引いて寝ていた事実のなかつたことは、すでに判断したとおりであるから、本主張もまた採用するに由ないものであろう。

(3)  特異体質による不可抗力死か。

特異体質或いは異常体質とは一般に、「軽微な外傷、血清やワクチン注射、薬剤の静脈注射、麻酔、咽喉部の薬剤塗布、水浴、浣腸などの極く些細な動機で、一見健康そうな人が急死する場合で、解剖学的変化の殆んどないこともあり、また胸腺リンパ体質が多いとされ」、(内藤鑑定②)現在の医学のもとでは、特異体質があるか否かを生前検査により予知することは不可能であり、また、ラボナールAに対し胸腺リンパ体質が特別な関係にあるかどうかは不明であることは本件各鑑定人の一致して述べるところである。さて、斉藤鑑定①によつて、真弓には、解剖所見上、胸腺が肥大し、リンパ装置の発育が極めて可良であり、いわゆる胸腺リンパ体質といわれる特異体質的所見があつたことは動かし得ないところであるから、同女の死が、この特異体質に基因するかは、一応問題とならざるを得ない。ところで、医学上、胸腺リンパ体質が軽微な侵襲や刺激例えば麻酔による影響で、シヨツク死を起し易い異常な体質的素因といえるかについては、争があり、胸腺リンパ体質者には、麻酔によるシヨツクで急死したり、麻酔時間が延長したりすることがあり、関係がないとはいえない(久保田鑑定、斉藤鑑定②、斉藤証言、天野鑑定等)と、これを肯定する見解が大勢ではあるが、反面、胸腺肥大や、リンパ装置の発育可良な一般幼児は少なからずみられ、胸腺リンパ組織の肥大は、異常な体質的素因とはいえない。麻酔の方法や管理に過誤がありながら、その証明ができないため、異常体質に帰せられたり、方法・技術に過誤がないとして、体質的異常のみが原因で死亡したとすることには多分に疑問があり、麻酔方法や技術上の過誤のかくれみのとされている傾向がある。麻酔による死亡原因を体質的異常に帰せしめるためには、術中・術後の管理すべてに不備がないことを立証されることが必要である(内藤鑑定②、内藤証言)とのきびしい反対説も有力にとなえられており、必ずしも、学問上の定説があるとまではいえない状況にあることは、現代医学の水準をもつてしても、全貌を解明することができない専門領域の、しかも深層にふれる困難きわまる問題で、軽々しく、是非を論定すべき事柄ではないから、詳論は避けざるを得ないが、かりに、胸腺リンパ体質を麻酔による影響で、シヨツク死を招き易い特異体質であると認めたとして、事前にかような体質を知ることができないが故にこそ、あらかじめ応急措置が可能なように、万全の準備をし、麻酔後は、患者を監視下において、その全身状態を十分観察把握し、ごく早期に、異常を捕捉して、ただちに所要の救急措置をとらなければならないのであり、そうしていれば特異体質者でも、死を免れ、或いは蘇生させることは十分可能であつた(久保田鑑定、内藤鑑定②、内藤証言)と認められるので、真弓に、胸腺リンパ体質の所見があり、その体質は生前予見することはできなかつたとしても、これをもつて、同女の死を不可抗力に帰せしめることは許されないと解する。

(本項中引用した証拠は、次の証拠の略語表示である。)

斉藤鑑定①=鑑定人斉藤銀次郎作成の昭和四一年四月五日付鑑定書

斉藤鑑定②=鑑定人斉藤銀次郎作成の昭和四一年四月七日付鑑定書

斉藤証言=証人斉藤銀次郎の当公廷における供述

山下・久保田鑑定=鑑定人山下浩・同久保田康耶共同作成の鑑定書

久保田鑑定=当裁判所が命じた鑑定人久保田康耶作成の鑑定書

久保田証言=証人久保田康耶の当公廷における供述

内藤鑑定①=鑑定人内藤道興作成の昭和四一年三月二日付鑑定書

内藤鑑定②=当裁判所が命じた鑑定人内藤道興作成の鑑定書

内藤証言=証人内藤道興の当公廷における供述

天野鑑定=鑑定人天野道之助の当公廷における供述鑑定

(情状と量刑)

本件は、麻酔から覚醒していない被害者を軽々に覚醒したものと速断し、十分覚醒を見きわめないで帰宅させた点、帰宅後再度にわたり異常を訴えられながら、全く救護措置をとることなく長時間放置した点で、歯科医師として重大な過失があつたというべく、被告人の責任は、決して軽からざるものがある。真弓が死亡するまでの間被告人は救急措置をとる機会は何回かあり、それをとることによつて同女の一命をとりめる可能性が大であつたのにこれをしなかつた。しかるにかかわらず、公判廷において、いまだに自己の覚醒に関する判断ならびにその後の措置にあやまりはなかつたと主張しているのは極めて遺憾である。帰宅の際、母親に舌沈下や呼吸の変化に備える注意すらしなかつたこと、往診の際、聴心器と注射器を持参したのみで、肝心の強心剤注射液を忘れたり、酸素吸入器も持参しなかつたこと、さらには、家族に懇請されても救急車の手配、救急病院への入院措置もしないで、ただ人工呼吸や心臓マツサージだけに終始した帰宅後の一連の経過をみる限り、被告人には、麻酔の危険性を軽視していたきらいがあるばかりか、歯科医師としての誠意ないしは医療道義にも欠けるところがあつたのではないかと思わしめる。

両親の愛情を一身に受け、恵まれた家庭で生育し、希望に夢みちた五歳の小児が、花も実も知らない蕾のままで、信頼する当の医師の手によつて、死に追いやられたことには同情を禁じ得ないものがあり、六年有余の歳月をもつてしても、おそらくうめることのできない遺族の嘆き悲しむ心情は察するに余りがある。

被告人は、被害者側と、いち早く和解して金二〇〇万円を支払い、その後永代供養を納めていること、歯科医師としての業績と評価にはみるべきものがあること、本件は検察庁で一旦不起訴となつたのに、被害者側から検察審査会に不服申立がなされ、同会の起訴相当の意見により、公訴時効の完成する寸前に起訴された経過があり、長期間、法的に不安定な立場におかされていたことなど、被告人にとつて、斟酌すべき情状も少なくはないが、本件過失と結果の重大性を考えるとき、罰金刑をもつて処断するのは、相当でないと思料する。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、行為時法によれば昭和四三年法律第六一号による改正前の刑法第二一一条前段、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、裁判時法によれば右法律第六一号による改正後の刑法第二一一条前段、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に該当するところ、犯罪後の法律により刑の変更があつた場合であるから、刑法第六条、第一〇条により刑の比照を行ない、その軽い行為時法の刑を適用すべく、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期範囲内で被告人を禁錮四月に処し、刑の執行猶予につき同法第二五条第一項、訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して主文のように判決する。

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